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江川英龍と種痘

江戸中期ごろまで疱瘡(ほうそう)は天罰により下された疫病神と信じられ、路傍あちこちに疱瘡(ほうそう)の石像が立てられ、人々は恐れおののき家内無病息災を願ってひたすら祈りをささげるだけで、とうてい人為的手当で直せる病気ではなかった。

こうした迷信がはびこる中にあって、神社・仏寺・修験道者達の疱瘡避けのお札と祈祷にすがる庶民の悲喜劇が古来より続けられて来ただけで、和の医者達も適切な予防法や治療法を探り出すことが出来ない状況下に置かれ、つまり、悪しき呪術の虜となっていた。

天然痘(てんねんとう=痘瘡とうそう)は、伝染力が強いだけでなく罹患(りかん)した場合の死亡率も高い伝染病で人々から非常に恐れられていた。日本では「疱瘡ほうそう」の名で恐れられていた病気だ。天然痘が流行すると多くの人々が死に部落全滅も散見され、運良く助かった場合でも顔や体に痘痕(あばた)が残された。

唯一あったのは、天然痘の予防法として比較的古くから天然痘にかかった患者の「かさぶた」を粉末にして鼻から吸引させ、人為的に天然痘ウィルスに感染させることによって免疫を作り出す「人痘種痘法」という方法があるにはあった。

日本には中国からこの方法が伝えられ、安永7年(1778)頃から盛んに用いられましたが、人痘種痘法はその効果に個人差もあって治療効果にばらつきがあり、あまり確実なものでは無かったため、余り世に広がらず韮山のような都から遠く離れた住民にとって人痘種痘法など存在すら知らず、その名前すら分らないという実情だった。

ヨーロッパでは、1798(寛政10)年イギリスの外科医ジェンナー(Edward Jenner)が牛痘種痘法を開発している。これは、牛のかかる痘瘡(牛痘)に感染した者が、天然痘に対して免疫を持つことに気づいたことから開発された方法で、牛痘に感染した牛から取り出したウィルス(痘苗とうびょう)を人間に接種することで、免疫を作り出すという予防法であった。

この方法は極めて効果が高く、また人痘種痘法に比べて危険性も低かったため、世界的に広がっていきました。日本には、ロシア経由で文政7年(1824)頃にもたらされたことがあったが普及しなかった。

嘉永2年(1849)、佐賀藩主鍋島直正がオランダから輸入させた痘苗を用いて、藩医楢林ならばやし宋建(そうけん)が藩内へと広めていったことから、本格的な導入が図られ始めた。

その後、種痘は緒方洪庵(おがたこうあん)や伊東玄朴(いとうげんぼく)らによって積極的に実施されて行った。蘭学に造詣の深かった江川英龍はこうした動きにいち早く反応し、嘉永3年正月には、伊東玄朴に依頼して息子英敏と娘卓子に種痘を受けさせている。

さらに英龍は、配下の医師肥田春安らに命じて試験的な種痘を行わせ、その結果が良好であることを確認した上で、同年2月管轄する韮山代官領全域に「西洋種痘法の告諭」を発した。その文中で英龍は、自らの二人の子供達にも種痘を行い成功したことを明らかにした上で、種痘を受けるよう諭している。

この告諭を受けて、肥田春安は助手とともに廻村して種痘の実施にあたった。この事業は継続して行われ、その結果韮山代官領内における天然痘被害は激減したと伝えられている。

この成功は、幕府の認めるところともなり、安政5年(1858)伊東玄朴や大槻俊斎(おおつきしゅんさい)らが中心となって江戸お玉ヶ池に種痘所が設置され、江戸町民にも種痘をうけるよう勧告がなされるに至っている。

なおこの種痘所は、文久元年(1861)には西洋医学所となり、さらに幕府直轄の医学所として明治維新まで活動を続ける。維新後は新政府に引き継がれ、後の東京大学医学部の前身となっている。


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