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【日本初の本格的洋式帆船・ヘダ号】

ロシア艦隊乗組員から代船建造の建議が起こる。外洋走行可能な小型帆走艇をこの地で急造して、ロシア本国に救援を求めに走ろう。設計と製作指導は乗員の能力に頼れる。建造体制の確保と人員資材の亭給を日本側にお願いしたい。設計図は日本に置いていく。経費は後日ロシア国が支払う。 

日本側は、幕府を先頭にこの提案にのった。洋式の造船技術導入のために、願ってもない話だ。この地に近い韮山代官・江川太郎左右衛門は、この頃、製鉄用の反射炉の建設を試みたりしてきている技術官僚で、建造取締役に任ぜられた。

代艦の設計は、ディアナ号の所持品にあったスクーナー・オープイト号の設計図をもとに、ロシアの技術士官・モジャイスキー海軍大尉と日本造船世話掛(船大工の棟りょう)によって行われた。2本マストの60人乗りの木造帆船で、全長約25メートル、幅約7メートル、80から100トンほどの船となったという。

材料の木材は沼津千本松原から伐採した松材が用いられた。鋼板、鉄板、釘、鋲などは幕府を通じて調達された。 代艦は80日余りで完成し、安政2年3月10日に進水式が行われた。プチャーチンは、戸田の住民らに感謝を込めて、新造船を「ヘダ号」と名付けた。

【君澤型帆船】

英龍がこのとき期待したのは、洋式船建造の技術が日本の船大工に伝わることであった。一隻の洋式帆船をロシア人の指導のもとで日本人が造れば、その技術は確固として国内に根づくのである。プチャーチンも英龍のこの提案に同意した。

このとき建造されたのは二本マストのスクーナー型帆船で、幕府がのどから手が出るほど欲しかった洋式軍艦への転用には不向きだったが、高速を生かした貨物の輸送には適していた。このため「君澤型帆船」と名付けられた同型船がその後何隻も建造され、長く活躍した。


上田寅吉は戸田村の7人の船大工の中で若くて創造力もある最も有能な船大工の一人です、彼は既に石川島造船で旭日丸という船を造っていましたが、この船はまともな洋式船ではなく、故郷戸田村でロシア人の帰る船を造るとの事で、戸田村に帰り戸田号の造船におおいに活躍しました、船大工の中でも特に優秀な為に、彼は長崎の海軍伝習所の一期生として行きました、この伝習所は平民は入れまれませんが、彼は特に洋式造船の技術が優れており、お給金を貰い後には苗字帯刀を許されました。

日本に帰国した時に間もなく明治維新となり、榎本と共に函館の五稜郭の戦いに敗れ捕虜になりましたが、明治三年釈放されて、横須賀の海軍工廠の初代の工場長に成りました。また長崎の三菱造船所など日本の主な造船所を造りました。
 榎本との関係は深く後の緒明さんのお台場造船所などにも力添えをしたそうです。
 寅吉は明治22年に亡くなりましたが、後のロシアのバルチック艦隊をやぶった日本の4隻の艦船を設計しました。

【上田寅吉】
緒明菊三郎】

緒明菊三郎氏は、戸田号造船時には10才だったので、船大工の父親の手元で雑役をしながら洋式造船の技術を学び、後に江戸に出て隅田川で一銭蒸気船を始めて財を成し、東京のお台場で緒明造船所を造り、日清戦争、日露戦争の頃は日本の造船、海運王にまで成った人です。

なお、お台場の土地を使用出来たのは、同じ戸田村の出身の船大工、上田寅吉の縁で榎本武揚が世話をした様です。 

緒明家は静岡銀行の大株主で何代か頭取を勤めた家柄で、日本で一番堅実な地方銀行は静岡銀行です。

横須賀に「緒明山」という公園があるんだが、そこが緒明菊三郎の持っていた土地だ。
また、三島の駅前に楽寿園という広大な公園があるのだが、あれは緒明さんが朝鮮の皇族から買い取ったもの。

今でも子孫が楽寿園のとなりに住んでいる。


長崎の海軍伝習所の一期生として勝海舟が居ました。一期生は咸臨丸により、日本人だけで太平洋を横断しましたが、武士階級の人達は殆どやくにはたたず、特に海舟などは船酔いのせいで、船底で寝ていたそうです。

 万が一、航海途中で船が壊れたら誰が直すか、そのため河津出身の鈴木長吉と伊東出身の肥田浜五郎(オランダから日本で最初に蒸気機関を輸入しました)ら船大工が参加しました。

二期生には榎本武楊が居ます。武楊達は始めアメリカに行きたかったのですが、当時アメリカは南北戦争のため混乱しているのでオランダに行きました。オランダでは当時幕府が発注していた、後の開陽丸の建造に携わりました。

【勝 海舟】
沼津市戸田案内図

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