【農兵】
外国文化と進歩的発想に深い理解と研究を怠らなかった太郎左衛門は、長崎伝習から帰った家臣柏木総蔵から珍しい音律を聴いたのである。
そして西欧風な豊かなリズムは忽ち太郎左衛門の心をとらえ、青年と歌… 調練の名案が頭に浮かんだ。
そして若い農兵達の行進歩調に合って、この行進曲は新式銃を担いだ青年の人気に投じたのである。
文久三年、坦庵の子英武の時代、幕府は江川氏の農兵調練の実益を認めて、ここに漸く制度として法令を定め、韮山代官支配地である武州八王子と相州藤沢の二ヶ所に調練場を新設し、大いに農兵の調練に当った。
この故事にあやかり、昭和初期に東海道筋で流行っていたノーエ節を元に平井源太郎により農兵節が作られた。
三島市役所敷地の北東の隅に「農兵調練場跡」の碑が建っている
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