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【大場の久八】

幕末維新期の伊豆の侠客。本名森久治郎。東海一の親分として勢力は駿豆相武の国におよび,現役中は清水次郎長も頭が上がらなかったといわれる。

嘉永6(1853)年黒船来航に際して江川太郎左衛門が品川沖にお台場を造営したとき,数千人の人夫を指揮して功績があった。

江川は江戸の屋敷に久八を招き,労に報いるため韮山代官支配地の御用を命じようとしたが,「骨が舎利になっても二足の草鞋ははかぬ。渡世人は堅気の下につく者だ」と断ったという。

維新後は博徒の足を洗って帰農し,下田街道の改修や村の小学校建設に貢献した。

 6尺2寸の大男で右目が斜視。強力(ごうりき)で健脚の持ち主とされ三島と江戸を1日で往復して平気な顔をして畑仕事をしていたという。


江川太郎左衛門は上流農家の男子を農兵の候補とした。

大場の久八は、当時子沢山で口減らしに懸命な水飲み百姓の二男以下を駆り出し、今で謂うところの派遣社員を創出している。

江川太郎左衛門が甲府の天野海蔵を指名すると、海蔵は大場の久八に白羽の矢を立てた。久八の手下の動きは素早い。白米と温泉を餌に畑毛温泉に働き盛りの若い衆を1000人掻き集め3泊させた後、江戸への箱根越えとなっている。

お台場の現場では大きな木樽に穴を開け、小銭を中に入れ、仕事が終わる都度、人足に手を突っ込めさせ駄賃とする。これが人足達の評判を呼ぶとともに、新参者を牽き付け、脱落者や長期欠勤者が減り、工事はとんとん拍子に進んで行く。

久八は俗世の裏街道を知り尽くすヤクザだが、出稼ぎの走りとなる実務家でもあった。

【大場の久八の墓】
函南町間宮193 広渡寺(こうどうじ)



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